【タイ中部】アユタヤ2 - アユタヤ島外

タイ中部アユタヤ2 - アユタヤ島外

古都アユタヤのフォトギャラリー no.2 です。

アユタヤは、バンコクから北へ80kmのところにある、タイのかつての都の地。
(アユタヤー王朝(1350年-1767年))

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mongkon)
ウートーン王(U-tong)(ラーマーティボーディー1世)が1357年に建てたと伝えられています。

ウートン王(ラーマーティボーディー1世)によって王朝が開かれて以来、およそ400年の間にわたり都として繁栄しましたが、1767年に、ビルマ(ミャンマー)の攻撃により壊滅的な打撃を受け、その繁栄も終わりを告げています。(この後は、トンブリー王朝、そして現在のチャクリー王朝と時代は変遷します)

ここではアユタヤ島外の私の大好きな壮大な寺院「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」、山田長政の名でも知られる日本ゆかりの地「日本人町跡」、幾多の戦禍も逃れ、非常に大きな仏像を祭り多くの信仰を集める「ワット・パナン・チューン 」などを紹介しています。


アユタヤの街(アユタヤ歴史公園)
(The original file is from the Wikimedia Commons

【アユタヤ】ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

アユタヤ島外の「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」(Wat Yai Chai Mongkon)。ウートーン王(U-tong)が1357年に建てたと伝えられています。(およそ年前ですね)
とても大きく壮麗な仏塔が立ち、周りは仏像が巡り、初めて訪れた時にはその迫力に圧倒されました。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mongkon)
ウートーン王(U-tong)が1357年に建てたと伝えられています。
説明によれば ...

この寺院は、仏暦1900年(西暦1357年)、僧の宿泊を目的にウートーン王によって建立されました。
仏暦2135年(西暦1592年)、ナレースワン王の時代にビルマが攻め入ってきたましたが、ナレースワン王は象上の戦いでビルマの王子に勝利しました。 
この勝利を記念して、「プラ・チェディ・チャイモンコン」と命名された「ヤイ チェディ」(大きな仏塔)が建立されました。
以降200年、外敵からの侵略はありませんでした。

この大きな仏塔は、王と兵隊の勇気と犠牲のシンボルとなっています。
その後、この寺院は「ワット・ヤイ・チャイモンコン」と呼ばれるようになりました。

ここには大きな横たわる仏像(涅槃仏)があります。
バンコクの「ワット・ポー」にある涅槃仏ほどの大きさはないと思いますが、それでも大きいですよね。

入口付近1
入口付近の様子。さぁ、行ってみましょう。
入口付近2
入口の門の飾り。
入口付近1
入口付近の様子。
さぁ、行ってみましょう。
入口付近2
入口の門の飾り。
入ってすぐの様子
入口入ると、遺跡群が見えます。
向こう側に
大きな仏塔が向こう側に見えます。
入ってすぐの様子
入口入ると、遺跡群が見えます。
向こう側に
大きな仏塔が向こう側に見えます。
寝仏陀(Reclining Buddha)1
寝仏陀(Reclining Buddha)は、ナレースワン王の統治時代に建立されたと考えられてます。
崇拝と瞑想のために特に使用され、現在のものは1965年に修復されています。
寝仏陀(Reclining Buddha)1
寝仏陀(Reclining Buddha)は、ナレースワン王の統治時代に建立されたと考えられてます。
崇拝と瞑想のために特に使用され、現在のものは1965年に修復されています。
寝仏陀2
人の大きさと比べるとかなり大きいのが分かります。
寝仏陀3
多くの人が参拝しています
寝仏陀2
人の大きさと比べるとかなり大きいのが分かります。
寝仏陀3
多くの人が参拝しています
寝仏陀4
寝仏陀の足。金箔が貼ってあります。
横たわる猫
横たわる仏像の近くにいた横たわる猫。猫好きです。 σ^-^;)
寝仏陀4
寝仏陀の足。
金箔が貼ってあります。
横たわる猫
横たわる仏像の近くにいた横たわる猫。猫好きです。 σ^-^;)
見えてきた仏塔
いよいよ仏塔が目の前に見えてきました。
見えてきた仏塔
いよいよ仏塔が目の前に見えてきました。
正面
階段があり、上に上がれます。スケールの大きい眺めですね。
正面
階段があり、上に上がれます。スケールの大きい眺めですね。
上に上がると
階段を上って上に上がったところの様子。
正面の階段
正面の階段の上から下を見たところ
上に上がると
階段を上って上に上がったところの様子。
正面の階段
正面の階段の上から下を見たところ
仏塔の上
上の様子。
白い仏像
後ろ側には、白い仏像が祀られてます。
仏塔の上
上の様子。
白い仏像
後ろ側には、白い仏像が祀られてます。
下を見下ろすと
正面の下を見下ろした様子。遺跡のある眺めでとてもいい感じ。
下を見下ろすと
正面の下を見下ろした様子。遺跡のある眺めでとてもいい感じ。
横方向
横側には、仏塔が並びます。
正面の階段
正面の階段の様子。
横方向
横側には、仏塔が並びます。
正面の階段
正面の階段の様子。
仏塔全体
仏塔(チェディ)全体の様子。大きな仏塔で迫力満点。
仏塔全体
仏塔(チェディ)全体の様子。大きな仏塔で迫力満点。
並ぶ仏像たち
ワット・ヤイ・チャイモンコンでは有名なシーンですね。
並ぶ仏像たち
どこかで見たことある風景。ワット・ヤイ・チャイモンコンでは有名なシーンですね。
後ろ側からの風景
後ろ側から見たところ
白い仏像たち
お釈迦さまが説法している場面のようです。
後ろ側からの風景
後ろ側から見たところ
白い仏像たち
お釈迦さまが説法している場面のようです。
本殿?
仏像が祀られ、多くの人が参拝してました。
水色のトゥクトゥク
あまり見かけない水色のトゥクトゥク。
本殿?
仏像が祀られ、多くの人が参拝してました。
水色のトゥクトゥク
あまり見かけない水色のトゥクトゥク。
入り口付近の花1
日本で言う”4つ葉のクローバー”と同じで、花びらが5つのものを見つけると幸運なのだそうな
入り口付近の花2
この中に5つの花弁があります。幸運を見つけられるかな?
入り口付近の花
日本で言う”4つ葉のクローバー”と同じで、花びらが5つのものを見つけると幸運なのだそうな。結構な人が探してたりします。
この中に5つの花弁がありますが、幸運を見つけられるかな?

【アユタヤ】日本人町跡

今でも中学や高校の歴史では習うのでしょうか。
あの「山田長政」ゆかりの地がここ、日本人町跡です。広々とした公園の雰囲気のする日本人村跡。
敷地内にある博物館には、日本語で以下のように説明されています。
アユタヤにあった日本人コミュニティはナレースワン王の御世には存在していたようだ。日本の船でやってきた小さな商人たちの集団だった。彼らは倉庫を建て、商品を買い集めておいて、翌年に日本から来る船を待っていたのである。日本のジャンク船が東南アジアに来るようになったのはマハータンマラーチャー王の末期(西暦1589年) であろう。(およそ年前。日本で言えば1590年の豊臣秀吉の天下統一の直前ですね) それ以前に、シャムと日本は琉球王国を通じて交易を行っていた。現在の沖縄である。琉球は日本と中国を相手に中継貿易をしていた。

日本人町は島の外のチャオプラヤー川の東南側にあった。向かい側にはポルトガル人町があり、北側の運河を挟んで、イギリス人町、オランダ人町があった。

アユタヤと日本の交易の最盛期には日本人町の人口は約1000 - 1500人であったと推測されている。ところが日本人コミュニティ頭領は軍事力を持ち、アユタヤ宮廷の政治に介入したので、国王の交代や1629年(日本では江戸時代に入ってます)のプラーサートトーン新王の誕生に、日本人義勇隊のオークヤー・セーナーピムックすなわち山田長政は南タイのナコーンシータンマラートの国主(チャオ・ムアン)に左遷され、南タイの国々の反乱を平定するよう命ぜられた。その後、プラーサートトーン王は部隊を派遣して日本人町を根こそぎ粛清した。しかし、日本人は事前に察知してアユタヤを去っていた。

日本人町は人口が減り続けていた。プラーサートトーン王の初期に日本が鎖国したからであった。日本はキリスト教を禁教にして、対外貿易を禁止、海外からの帰国も禁止した。

アユタヤの日本人はその後ジャンク船貿易にたずさわっていたが、沿岸貿易に限られていた。
この他にも、敷地内にある碑にも説明がありますね。(下方参照)。
日本との関わりが分かって面白いですが、そろそろ行ってみましょう。^-^)/ (以下の写真はかなり昔のものも混ざっちゃってます)
英語では Japanese Village. (まぁそのまんまですね ^-^;)
665年にオランダで出版されたジョハネス・シンボーンズによる「シャム王国首都アユタヤ」の水彩画(ヘーグ国立文書館所蔵)を拡大したもの。当時のアユタヤの交通が水路によって行われていたことがよくわかる。当時の日本人町は、この地図の右下画面外にあった。
入口にある日本人村の表示
英語では Japanese Village. (まぁそのまんまですね ^-^;)
跡地内にある"かつてのアユタヤ"らしい
 説明書きには... 1665年にオランダで出版されたジョハネス・シンボーンズによる「シャム王国首都アユタヤ」の水彩画(ヘーグ国立文書館所蔵)を拡大したもの。当時のアユタヤの交通が水路によって行われていたことがよくわかる。当時の日本人町は、この地図の右下画面外にあった。...
< 跡地内の石碑には以下のような記載が見られます>
日本人町跡にある石碑
アユタヤは西暦1350年より1767年まで417年間タイ国の首都であった。
この間16世紀後半より外国人の渡来者は激増し彼らは貿易や不況に従事した他義勇兵として王朝に仕えるものもあった。

当時日本政府は朱印状(外国貿易に従事する許可書)を発行して貿易を奨励したが、朱印状を所有しない交易船も東南アジア方面の貿易に従事していた。これらの貿易船のうち、タイの都アユタヤに来たものも多く、彼らは諸外国人と同様国王から居留地を与えられた。
アユタヤには時代により800人から3,000人の日本人が居たと伝えられ、更にタイ、中国、ヴェトナムなどの従業員を加えると、この日本人町に8,000人の人が居たこともあると伝えられている。
そして次の人々がその首領であった。

オークブラ純会(1600年~1610年) 城井久右ヱ門(1610年~1617年) 山田長政(1617年~1630年) 糸屋多右ヱ門 平松国助(1633年~1640年) 木村半左ヱ門、アントニオ善右ヱ門(1640年~?)

この内でも山田長政(静岡県出身と伝えられている)は日本人義勇隊長として実力者となりソングタム王の寵愛を受けオークヤー・セーナービムックの爵位を授けられた。
1628年、王の死後、長政は二人の王子に忠義を孟(?)したが、ナコン・シータマラート(南タイ)の叛乱が起きたので都を離れ叛乱軍平定。同地の太守となったが、程なく同地で客死した。
博物館が建てられる前と思いますが、山田長政の像がありました。今もあるのかな?立派なお姿です。
こちらも博物館が建てられる前と思いますが御朱印船の展示物。
左:御朱印船(末次屋丸)、右下:戦艦絵馬(山田長政が当時シャムより故郷駿河の浅間神社に奉納した絵馬の模写)、右上:仏頭 - 東恩納 寛惇教授(元東京都立大教授)により1933年(昭和8年)当地にて発掘された仏頭)
御朱印船たち
こちらも博物館が建てられる前と思いますが御朱印船の展示物。
左:御朱印船(末次屋丸)、右下:戦艦絵馬(山田長政が当時シャムより故郷駿河の浅間神社に奉納した絵馬の模写)、右上:仏頭 - 東恩納 寛惇教授(元東京都立大教授)により1933年(昭和8年)当地にて発掘された仏頭)
新たな博物館ができたようです。ちょっとのぞいてみましょう。
山田長政の像
博物館が建てられる前と思いますが、山田長政の像がありました。今もあるのかな?立派なお姿です。
博物館
昔に左の山田長政の像、上の御朱印船が飾られていた場所なのか、新たな博物館ができたようです。ちょっとのぞいてみましょう。
日本語はないんですが、ビデオで色々と説明が見れます。
館内は結構広く、色々な展示がされています。
ビデオで説明
日本語はないんですが、ビデオで色々と説明が見れます。
色々な展示物
館内は結構広く、色々な展示がされています。
館内には大きなアユタヤの地図があります。
大きな地図
館内には大きなアユタヤの地図があり、日本語で以下の説明がされてます。
「ユデア」(Iudea)と呼ぶこの地図はアユタヤを描いた最も古くて美しい地図である。この地図は様々な主要な場所が揃っていた頃を描き、レンガの城壁で囲まれた島、遠くに山、河川、家屋の形状、寺院仏閣、壮麗な王宮、レンガを敷き詰めた舗道、網の目のように張り巡らされた運河まで、細かく描きこんであり、さながら「東洋のベニス」と呼ばれた所以が示されている。

この地図は、ナーラーイ王の時代の1663年、オランダ人のダーフィット・フィンボーンスとヨハネス・フェンボーンス(David and Johannes Vingboons)によって 97x140センチの油絵で描かれている。オランダ東インド会社(VOC)の本社大会議室 Heren XVII(17人の重役会)を飾っていたものと推測されている。現在はオランダ、アムステルダムの国立博物館(Rijkamuseum)に保管されている。
日本人村に訪れたら、この地図は必見ですね。^-^)
歴史に興味ある人は、是非お立ち寄りください。
楽器なども展示されています。
広々とした館内
歴史に興味ある人は、是非お立ち寄りください。
楽器など
楽器なども展示されています。
日本人町跡に接して流れるチャオプラヤー川の風景たち
小船やボート、砂をのせた船などが行きかいます。
日本人町跡に接して流れるチャオプラヤー川の風景たち
小船やボート、砂をのせた船などが行きかいます。
プミポン国王陛下生誕80年・日タイ修好120周年記念
大扇子が売られてました。
ビロード生地に蛍光絵具一品一品手描きです。朝焼け 夕焼け 夜の三部作 1,350B または 4000円(結構高い!)
プミポン国王陛下生誕80年・日タイ修好120周年記念
ということで、敷地内に日本庭園と東屋が作られています。その説明ですね。日タイ修好&友好で行きましょう。^-^)
大扇子
大扇子が売られてました。
ビロード生地に蛍光絵具一品一品手描きです。朝焼け 夕焼け 夜の三部作 1,350B または 4000円(結構高い!)
日本語が沢山。^0^) 
ここでクロネコヤマトの国際宅急便で日本への発送できます。(大扇子とかを送るのかな?)
カキ氷屋
日本語が沢山。^0^) ここでクロネコヤマトの国際宅急便で日本への発送できます。(大扇子とかを送るのかな?)
向う側が日本庭園と東屋があるんですね。
敷地内の様子
向う側が日本庭園と東屋があるんですね。
敷地内で見かけた花たち1
左の花は良く見かけますが、名前はちょっとわかりません。
敷地内で見かけた花たち2
タイでよく見るリーラーワディーラントムという花。
敷地内で見かけた花たち
左の花は良く見かけますが、名前はちょっとわかりません。右もタイでよく見るリーラーワディーラントムという花。(以前はラントムと呼ばれてましたが、ちょっと悲しい意味の名前だから、ということでリーラーワディーに名前を変えたそうです)

【アユタヤ】ワット・パナン・チューン

アユタヤの南東にあるワット・パナン・チューン(Wat Panan Choeng)
この寺院、タイの王子と中国の王女との愛の神話が元になっているとも言われ、中国系の人たちの信仰を集めているようです。

高さ19mもある座仏像が有名で、アユタヤが1350年に首都となる以前の1334年、今からおよそ年前に作られ(日本で言えば室町時代が始まった頃でしょうか)、"Luang Po To"(ルアン・ポー・・トー)と呼ばれています。中国系の人たちには、貿易や移住のための航海の神、"Sum Po Hud Kong"(サム・ポー・フッド・コン)として崇拝されているようですね。アユアタがビルマにより幾度となく繰り返さし破壊された中から奇跡的に残った寺院でもあります。(島外だったのが大きな理由でしょうが、良かったですね~ ^-^)
アユタヤの南東にあるワット・パナン・チューン(Wat Panan Choeng)。入り口付近の様子ですが、参拝客で大変賑わってます。
寺院内のの説明書き:ワット・パナン・チューン
ワット・パナン・チューンは、タイで最も大きい昔々の仏像をお祀りする古い寺院で、ルアン・ポー・トー(Luang Po To)として知られています。歴史によればこの金メッキした漆喰の仏像は、1350年にアユタヤが首都となった26年前の1334年に造られました。

元々この仏像はタイ伝統の自然に囲まれた外の場所に安置されていて、どの角度からも、見える所なら遠くからもお祈りを捧げることができました。中国系の信者は、貿易や移住のための航海が多くなされたことから、この仏像を「サム・ポー・フッド・コン」(Sum Po Hud Kong - 三宝公 - 航海の守護神)として崇拝しています。

この古い寺院ワット・パナン・チューンは、今まで一度も廃れたことがありません。地域の目印、または異なる時代を通してのタイ装飾芸術のモチーフで飾られたタイ建築構造の証拠として、これまでも時代時代を通して長きにわたり改修されてきました。寺院内の装飾や施設は、崇拝や修行をしやすいように時代に応じて継続的に変化しています。

この寺院の起源は、昔々のタイの王子と中国の王女との愛の神話であると言われています。

Wat Panan Choeng
Wat Panan Choeng is an old monastery housing Thailand's largest ancient Buddha image, known as "Luang Po To". A historical chronicle states that this gilded stucco image was made in A.D.1334, some twenty-six (26) years before the establishment of Ayutthaya as the capital of the Thai Kingdom in A.D.1350.

Originally, the Buddha image was exposed to the elements of nature in accordance with Thai tradition where no covering structure was made over a large statue so that the magnificence of the image could well be admired from any angle as well as from any visible distance.

Chinese followers revere the Buddha image as their "Sum Po Hud Kong", or the god protector of those who sail, since much sailing was done by the Chinese then, for trade or for migration.
Though an old temple, Wat Panan Choeng has never been deserted by its followers. In fact, continuous development has been made thorough time, as evidenced by the existing landscape and Thai architectural structures ornated by decorative art motifs attributed to different periods, side by side.

The interior and its facilities have constantly changed in adaption to time, to ease the process of worshipping and study.
It is also said that the beginnings of the temple is related to a love myth between a Thai Prince and a Chinese Princess of long ago.
バンコクのチャオプラヤー川沿いにある寺院「ワット・カンラヤナミット」には、この寺院の仏像を模した仏像が安置され、こちらも高さ15.45mでバンコク最大の仏像だとか。

前置きが長くなりましたが、早速私と一緒にお参りに行きましょう。^-^)/
(余談:"ワット・パナン・チューン"の"チューン"は、"チュァーン"と聞こえます)
ここを訪れたのも2度目。今回はお正月も差し迫った年末のためか、非常に多くの参拝客で賑わってました。
ここを訪れたのも2度目。今回はお正月も差し迫った年末のためか、非常に多くの参拝客で賑わってました。
入り口付近の様子。こちらから本殿内へ入ります。
中国系のお寺らしく、中国語でお正月のお祝いとかが飾られてますね。
入り口付近の様子。こちらから本殿内へ入ります。
中国系のお寺らしく、中国語でお正月のお祝いとかが飾られてますね。
飾りつけも中国の風赤系で華やかです。
タイでよく見るお札のお布施。このようにお札を棒に挟んで差しておくんですね。
飾りつけも中国の風赤系で華やかです。 タイでよく見るお札のお布施。このようにお札を棒に挟んで差しておくんですね。
本殿内に入ると仏像が多く祭られていています。
本殿内に入ると仏像が多く祭られていています。
私には少し厳しい感じのするお顔にみえますがどうですか? ^-^)
仏像には金箔片を貼ってお参りします。子供が金箔貼ってます。これがうまくくっつかず、はがれてしまったりして中々うまくいかないんですね。
私には少し厳しい感じのするお顔にみえますがどうですか? ^-^) 仏像には金箔片を貼ってお参りします。子供が金箔貼ってます。これがうまくくっつかず、はがれてしまったりして中々うまくいかないんですね。
仏像の足元。もう全身金箔が貼られてます。白い紙片は金箔片の貼ってあった残りの紙。
こちらは観音像でしょうか。美しい姿ですね。
仏像の足元。もう全身金箔が貼られてます。白い紙片は金箔片の貼ってあった残りの紙。 こちらは観音像でしょうか。美しい姿ですね。
奥に進むと見える、こちらが高さ19mにもおよぶ非常に大きな本尊。すごい迫力です。
暗い場所に照らされて浮き出る姿はとても美しいですね。
奥に進むと見える、こちらが高さ19mにもおよぶ非常に大きな本尊。すごい迫力です。
暗い場所に照らされて浮き出る姿はとても美しいですね。
見上げたところ。非常に大きな仏像で圧倒されます。
見上げたところ。非常に大きな仏像で圧倒されます。
仏像の前では多くの参拝客がお祈り捧げてます。日本のお寺でのお参りとは異なり、皆長い時間お祈り捧げてます。
仏像の前では多くの参拝客がお祈り捧げてます。日本のお寺でのお参りとは異なり、皆長い時間お祈り捧げてます。
少し横から見たところ。人の大きさと比べると、仏像の大きさが際立ちます。
少し横から見たところ。人の大きさと比べると、仏像の大きさが際立ちます。
仏像の周りは通路になっていて、ぐるっと回れるようになってるんですね。ちょっと回ってみてましょう。
仏像の周りは通路になっていて、ぐるっと回れるようになってるんですね。ちょっと回ってみてましょう。
本尊の周りにも多くの仏像が祭られています。
本尊の周りにも多くの仏像が祭られています。
本尊の周りにも多くの仏像が祭られています。
通路に置いてある黄色い布は、お坊様の服なのかな?
大きな仏像の後ろ姿。柱も非常にきれいに装飾されてますね。
通路に置いてある黄色い布は、お坊様の服なのかな? 大きな仏像の後ろ姿。柱も非常にきれいに装飾されてますね。
通路に個別にお祀りされている仏像たちです。触られないようにか安全上のためか柵で囲まれています。
通路に個別にお祀りされている仏像たちです。触られないようにか安全上のためか柵で囲まれています。
通路に個別にお祀りされている仏像たちです。触られないようにか安全上のためか柵で囲まれています。
年代を感じさせる太鼓。仏教の儀式や節目のお祭りとかに使用されるのかな?
これは多分おみくじでしょうか。
年代を感じさせる太鼓。仏教の儀式や節目のお祭りとかに使用されるのかな? これは多分おみくじでしょうか。
外側に出たとこrの様子。
正面入り口付近にあるヤック(守護神)。バンコクの王宮を筆頭にタイの寺院で良く見られるものですね。
外側に出たとこrの様子。 正面入り口付近にあるヤック(守護神)。バンコクの王宮を筆頭にタイの寺院で良く見られるものですね。
入口横から見た様子。
入口横から見た様子。
沢山のドラゴンたち。色鮮やかでとても綺麗。
外にお祀りされている仏像たちです。右の仏像にはお顔がいくつも乗っていますね。なんという仏像かな?
沢山のドラゴンたち。色鮮やかでとても綺麗。 外にお祀りされている仏像たちです。右の仏像にはお顔がいくつも乗っていますね。なんという仏像かな?
線香をあげている様子。
本殿横側の様子。
線香をあげている様子。 本殿横側の様子。
本殿横は怖い顔をした方たちが護ってました。^-^)
本殿横は怖い顔をした方たちが護ってました。^-^)

アユタヤの島外にある「ワット・ヤイ・チャイモンコン」は、タイの寺院の中でもとても好きな寺院の1つです。歴史公園も良いですが、この寺院に初めて訪れた時は、その迫力にかなり感動したのを今でもよく覚えています。

島外には日本に関係の深い日本人村跡や、長い年月破壊されずに残り信仰を集める見ごたえのある寺院ワット・パナンチューンなどもありますので、アユタヤを訪れる際には是非足を運んでみてくださいね。ヽ(^。^)ノ

【タイ中部】アユタヤ2 - アユタヤ島外