【タイ中部】アユタヤ1 - アユタヤ歴史公園

タイ中部アユタヤ1 - アユタヤ歴史公園

古都アユタヤのフォトギャラリー no.1 です。

アユタヤは、バンコクから北へ80kmのところにある、タイのかつての都の地。
(アユタヤー王朝(1350年-1767年))

王朝当時、ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊され、仏像は首を落とされている。

ウートン王(ラーマーティボーディー1世)によって王朝が開かれて以来、およそ400年の間にわたり都として繁栄しましたが、1767年に、ビルマ(ミャンマー)の攻撃により壊滅的な打撃を受け、その繁栄も終わりを告げています。(この後は、トンブリー王朝、そして現在のチャクリー王朝と時代は変遷します)

17世紀には日本とも盛んに朱印船貿易も行われ、(学校とかで習う)山田長政をはじめ、800人から3,000人の日本人がアユタヤにいたと言われています。参照:日本人町跡

チャオプラヤー川とその支流(オールド・ロッブリー川、バサック川)に囲まれた中に、アユタヤの街がありますが、王朝当時、ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊されてしまっています。
今ではアユタヤ歴史公園 (Ayutthaya Historical Park) として、その面影をみることができ、古都アユタヤ (Historic City of Ayutthaya) として、1991年、ユネスコの世界遺産に登録もされています。


アユタヤの街(アユタヤ歴史公園)
(The original file is from the Wikimedia Commons

ここアユタヤにはこれまでも何度か訪れており、個人的にもとても気に入っている場所の1つです。
歴史が好きな人、古い異国情緒を堪能したい方は、もう行かずにはいられないでしょー。(^.^)

【アユタヤ】歴史公園

アユタヤ歴史公園内では、綺麗に着飾った象さんクルーズもできます。
ここアユタヤには、電車で行ったり、バスや自動車で入ったりと、4度ほど訪れてます。

電車で行った時は、行きは普通でしたが、帰りの電車ではあまりの混雑で、バイクがつまれた貨物車の中で揺られてバンコクに帰ってきたり、バスで行った時は、帰りは少し大きめの船で、のんびりとバンコクへ帰ってきたりしています。

遺跡は勿論、綺麗に着飾った象さんクルーズもできたりして、とても楽しめるところだと思います。
(バンコクからも近いですし)
アユタヤ歴史公園内では、象さんに乗って、ゆったりと遺跡見物ができたりします。
アユタヤ歴史公園内では、象さんに乗って、ゆったりと遺跡見物ができたりします。
アユタヤ歴史公園内では、象さんに乗って、ゆったりと遺跡見物ができたりします。
アユタヤ歴史公園内では、象さんに乗って、ゆったりと遺跡見物ができたりします。
アユタヤ歴史公園内では、象さんに乗って、ゆったりと遺跡見物ができたりします。
何度か来てるのに、一度も像にのったことない~(って写真はパシャパシャとってるんですけどね ^◇^)ゞ

【アユタヤ歴史公園】ワット・マハタート

ワット・マハタートの様子。
左手に既に崩壊している仏塔が見える。
諸説あるようですが、この寺院「ワット・マハタート」はアユタヤー王朝3代目の王、ボーロマ・ラーチャーティラート1世(King Boram Rachathrat)により1374年頃から建設され、1390年に完成されたとされ、アユタヤ時代には重要な位置づけの寺院だったようです。

中央には50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)があったとされてますが、現在では崩壊していて見ることはできません。(と説明のボードはありますが)

ここに限りませんが、ビルマ軍の侵攻により崩壊が激しく、仏像は殆ど全てが首を切られてしまってます。また、長い年月の間に木に取り込まれてしまった仏頭があることでも有名です。
入り口付近からの眺め
いくつかの仏塔や頭のない仏像、頭だけのものなどが見えます。
入り口付近からの眺め
いくつかの仏塔や頭のない仏像、頭だけのものなどが見えます。
早速行ってみましょう
遺跡が沢山見えますね。ドキドキしつつ、早速行ってみましょう。^-^)
入り口近くの仏像
入口近くの仏像。首のある普通のお姿。
後世に設置されたものでしょうか。
早速行ってみましょう
遺跡が沢山見えますね。ドキドキしつつ、早速行ってみましょう。^-^)
入り口近くの仏像
入口近くの仏像。首のある普通のお姿。
後世に設置されたものでしょうか。
仏像たち
大体このような感じで、首がなかったりします。
有名な木の中の仏像
有名な木に取り込まれている仏像。ちょっと可愛そうですが歴史を語ってくれています。
仏像たち
大体このような感じで、首がなかったりします。
有名な木の中の仏像
有名な木に取り込まれている仏像。ちょっと可愛そうですが歴史を語ってくれています。
本堂の跡? 1
柱の跡が沢山あることから、本堂の跡かな?
本堂の跡? 2
ここに仏像が祀られていたようです。
本堂の跡? 1
柱の跡が沢山あることから、本堂の跡かな?
本堂の跡? 2
ここに仏像が祀られていたようです。
崩壊した仏塔1
高さ50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)。
崩壊した仏塔1
高さ50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)。
崩壊した仏塔1
高さ50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)。
崩壊した仏塔2
別の角度から見たところ。
崩壊した仏塔2
別の角度から見たところ。
高さ50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)。
仏塔の周り1
仏塔の周りの様子。他にも沢山仏塔が立ってます。
仏塔の周り1
仏塔の周りの様子。
他にも沢山仏塔が立ってます。
仏塔の周り2
少し上から見たところ。
仏塔の周り3
こういった形をロッブリー様式と言うのか...
仏塔の周り2
少し上から見たところ。
仏塔の周り3
こういった形をロッブリー様式と言うのか...
仏塔の周り4
反対側?の様子。
仏塔の周り5
小さめの仏塔も立ってます。
仏塔の周り4
反対側?の様子。
仏塔の周り5
小さめの仏塔も立ってます。

【アユタヤ歴史公園】ワット・プラ・シー・サンペット

ワット・プラシー・サンペットは、アユタヤの王宮の敷地内に位置する最も重要な寺院。

ワット・プラシー・サンペット
寺院のシンボルである東西に並ぶ3つのストゥーパ(仏塔)
ボロマ・トライ・ロカ・ナート王(King Boroma-Tri-Loka-Nat)の時代、1448年に王宮内に建てられ、アユタヤにおける王室寺院であり、重要な王室の儀式を行ったり、王室専用の礼拝堂であり、また王家の人々の遺灰を納める場所でもありました。
この寺院のシンボルである東西に並ぶ3つのストゥーパ(仏塔)には、3人の王(*1)の遺灰が納められていると言われています。

*1) ボロマ・トライ・ロカ・ナート王、ボロマ・ラーチャティラート三世王、ラーマティボディ二世王
(King Boroma-Tri-Loka-Nat, King Boroma-Rachathirat III, King Ramathibodi II)


仏塔の東側には本堂が建立され、(今はありませんが)純金に覆われた高さおよそ16mの立仏像「プラ・シーサンペット」が置かれていたようです。
(この仏像の名前「プラ・シーサンペット」がこの寺院の名前の由来ということ)
シンボルの仏塔たち
寺院のシンボルである東西に並ぶ3つのストゥーパ(仏塔)
シンボルの仏塔たち
寺院のシンボルである東西に並ぶ3つのストゥーパ(仏塔)
シンボルの仏塔たち
階段がついてますが、とても急ですね。
シンボルの仏塔たち
寺院のシンボルである東西に並ぶ3つのストゥーパ(仏塔)。
階段がついてますが、とても急ですね。
少し登ってみると
登った上で見渡した風景。
並ぶ仏塔
他にも沢山チェディ(仏塔)が並びますが、人と比べるとその大きさが分かります。
少し登ってみると
少し登ることができます。
登った上で見渡した風景。
並ぶ仏塔
他にも沢山チェディ(仏塔)が並びますが、人と比べるとその大きさが分かります。
周りの風景
多くの柱や、崩れた建物たちの様子。
周りの風景
多くの柱や、崩れた建物たちの様子。
その他の風景
敷地内のその他の周りの風景
仏塔のアップ
階段登った入口付近の様子。
その他の風景
敷地内のその他の周りの風景
仏塔のアップ
アップして撮影したところ。
階段登った入口付近の様子。
リーラーワディー
タイでは良く見られる花「リーラーワディー」が沢山綺麗に咲いてました。
入口付近
お土産屋さんが沢山並びます。多くの人が訪れる場所なんですね。
リーラーワディー
タイでは良く見られる花「リーラーワディー」が沢山綺麗に咲いてました。
入口付近
お土産屋さんが沢山並びます。多くの人が訪れる場所なんですね。

【アユタヤ歴史公園】ワット・ラチャブラナ

1424年、8代目の王、ボロマ・ラーチャティラート二世により、二人の兄たちのために建立した寺院。(二人の兄たちは、王位継承の争いで互いに殺し合ったというお話し。悲しい...)

ワット・ラチャブラナ
1424年、8代目の王、ボロマ・ラーチャティラート二世により、二人の兄たちのために建立した寺院。
写真に見られるように、仏塔は丸みのあるクメール式のようです。
1958年の修復の際には、多くの宝物類が発掘され、チャオ・サン・プラヤー国立博物館(Chao Sam Phraya Museum)に展示されています(と聞いてますがまだ実際に見てません)。
入口付近
三角屋根の入口。
礼拝堂
入口入ると、礼拝堂?があり、向こう側に仏塔が見えます。
入口付近
三角屋根の入口。
礼拝堂1
入口入ると、礼拝堂?があり、向こう側に仏塔が見えます。
仏塔に登って、礼拝堂を眺めたところ。
礼拝堂2
仏塔に登って、礼拝堂を眺めたところ。
仏塔1
中央にそびえたつ仏塔の中心。非常に綺麗な建物。
仏塔2
後ろに回って撮影したところ。
仏塔1
中央にそびえたつ仏塔の中心。非常に綺麗な建物。
仏塔2
後ろに回って撮影したところ。
階段登って
上に登れます。
上からの眺め1
近くにあるベル形の仏塔を見たところ。
階段登って
上に登れます。
上からの眺め1
近くにあるベル形の仏塔を見たところ。
上からの眺め2
階段を見下ろしたところ。向こう側に礼拝堂が見えます。
装飾1
仏塔には、バンコクの王宮とかにみられるガルダ(鳥王)が彫られてます。
上からの眺め2
階段を見下ろしたところ。
向こう側に礼拝堂が見えます。
装飾1
仏塔には、バンコクの王宮とかにみられるガルダ(鳥王)が彫られてます。
上からの眺め3
非常に広い敷地の中に仏塔が点在しています。
上からの眺め3
別の方向を眺めたところ。非常に広い敷地の中に仏塔が点在しています。
装飾2
こちらには立仏像が彫られてます。
装飾2
こちらには立仏像が彫られてます。

【アユタヤ歴史公園】ワット・モンコン・ボビット

祀られている仏像は、台座を除き高さ12.45m、幅は9.55m、タイ国内において最も大きいブロンズの仏像の1つ。
ここ「ワット・モンコン・ボビット」内に祀られている仏像「プラ・モンコン・ボビット」(Phra Mongkhon Bophit)は、台座を除き高さ12.45m、幅は9.55m、タイ国内において最も大きいブロンズの仏像の1つだそうです。
この仏像は、アユタヤ初期の1448年から1602年の間に作られたと推測されてます。

大雑把ですが、元々はアユタヤ王宮の東側に設置されていたものを、後に西側に移す等行い、また頭部や腕など修復を繰り返し、今に至ります。
大きな仏像
台座を除き高さ12.45m、幅は9.55m。
お参りの人々
大きな仏像を前に、お参りする人々。
大きな仏像
台座を除き高さ12.45m、幅は9.55m。
お参りの人々
大きな仏像を前に、お参りする人々。
寺院内の仏像
頭だけの仏像が多く祀られています。
説明の写真
1956年に頭部と右腕が修復された等、説明されてます。
寺院内の仏像
頭だけの仏像が多く祀られています。
説明の写真
1956年に頭部と右腕が修復された等、説明されてます。
寄付
寄付でしょうが、お札で大きなボールができてます。
竹細工
子供が竹でできたバッタ(カマキリ?)を売ってました。
寄付
寄付でしょうが、お札で大きなボールができてます。
竹細工
子供が竹でできたバッタ(カマキリ?)を売ってました。

【アユタヤ歴史公園】ワット・プララーム

1369年、父ウートン王の葬儀のために、ラメスワン王(King Ramaesuan)により建立されたとされるアユタヤ王朝初期の寺院。
1369年、父ウートン王の葬儀のために、ラメスワン王(King Ramaesuan)により建立されたとされるアユタヤ王朝初期の寺院。

寺院の前には大きな池があり、観光客を背中に乗せた象さん達が、ゆったり歩いている風景が見られます。
祀られている仏像
頭がありませんが、仏塔前に祀られている仏像。
寺院前の雰囲気
観光客を背中に多くの象さん達が歩いてます。
祀られている仏像
頭がありませんが、仏塔前に祀られている仏像。
寺院前の雰囲気
観光客を背中に多くの象さん達が歩いてます。
沢山の仏像
こちらにも多くの仏像があります。
大きな池
寺院前の大きな池。とても落ちついた雰囲気。
沢山の仏像
こちらにも多くの仏像があります。
大きな池
寺院前の大きな池。とても落ちついた雰囲気。

【アユタヤ歴史公園】王宮

残念ながら、アユタヤの王宮は破壊されており、ほとんど何も残ってません。復元されたものですが、アユタヤ王朝の主要な宮殿である「サンペット・プラサート宮殿」は別ページで紹介している「エンシェントシティ(ムアン・ボラーン)」(*1)にて見ることが出来ます。(写真上)

*1) エンシェントシティ
サムットプラカーンにあり、バンコクから車で1時間ぐらい


この宮殿、ビルマ(ミャンマー)の攻撃によりアユタヤ王朝が壊滅的な打撃を受けた1767年には焼失してます。
残念ですね。(ノД`)・゜・。

アユタヤの歴史公園は、私の最もお気に入りの場所の1つ。何度も行きたい場所です。
まだ象に乗って回ったことがないので、次の機会には、是非ゆったりと公園内を象に乗って遊覧してみたいですね。(^◇^)

【タイ中部】アユタヤ1 - アユタヤ歴史公園