タイの歴史 - 主な王朝
|
その頃の日本史
|
石器時代より人が国内全土に点在
石器時代より人が国内全土に点在し、社会単位を徐々に発展。
タイ北東部のコーラート(ナコーン・ラーチャシーマー)、ウドーンターニーなどに、鉄器時代、青銅器時代の遺物を見る事ができます。
|
|
社会単位を徐々に発展
現在のタイとしてのタイ人による統一国家には至ってませんが、今に見るタイ北部では、モン族などによる王朝が開かれます。 |
|
ハリプンチャイ王国
(661年ごろ~11世紀まで) タイ中央のロッブリーから女王「チャーマ・テーウィー」が招かれ、ランプーンにて「ハリプンチャイ」王国が始まります。
1281年には、ランナータイ王国のメンライ(メンラーイ)王(MengRai)によりランナータイに吸収されました。
ランプーンにある王室寺院、「ワット・プラタート・ハリプンチャイ」。ハリプンチャイ王国の女王の子孫「アティタヤラート王」時代の1108年に建立されたもの(1157年と言う話も)。
(ハリプンチャイ王国の女王の子孫「アティタヤラート王」時代の1108年に建立されたワット・プラタート・ハリプンチャイ)
12~13世紀のハリプンチャイ様式の仏像。スタッコ(Stucco)とは建築材料らしい。
( 12~13世紀のハリプンチャイ様式の仏像(ハリプンチャイ国立博物館))
|
- 603年 冠位十二階を制定。(聖徳太子)
- 604年 十七条憲法を制定。(聖徳太子)
奈良時代 710年~
- 712年 古事記ができる
- 720年 日本書紀ができる
- 752年 東大寺大仏
- 754年 鑑真来日
- 759年 万葉集ができる
平安時代(桓武天皇)794年~
- 905年 古今和歌集ができる
- 939年 平将門の乱
- 1156年 保元の乱
- 1159年 平治の乱
- 1167年 平清盛、太政大臣となる。
- 1185年 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡)
|
ランナータイ王国(1296年~)
ランナーはチェンライのメンラーイ王(MengRai)によって1296年より始まった王国。ラオスやビルマ(ミャンマー)、中国にも影響を及ぼしていたようです
(メンライ王が王国(後のランナー・タイ王国)の首都をチェンマイに移す前、1286年に建設した首都「ウィアン・クム・カーム」(ウィアン・クム・カーム遺跡))
- 1296年 首都をチェンマイへ
- 1558年からはビルマ(ミャンマー)の支配下となる
(チェンライは1786年にタイ王国の一部に編入され、1910年に正式にタイの一県となった模様)
(ワット・プラ・タート・ドイ・ステープ(Wat Prathat Doi Suthep)
標高1080mのステープ山にある寺院。チェンマイのクーナ王統治時代の1383年に建立された。)
ピマーイ
タイ北東部イサーン地方には、11~12世紀、クメール帝国の時代にクメールの人々により、文化が栄えていたようです。

大乗仏教の聖殿「プラサート・ピマーイ」。
ピマーイは、堀と城壁によって四方を囲まれた大きな長方形の古代都市。
(大乗仏教の聖殿「プラサート・ピマーイ」 (ピマーイ遺跡))
|
鎌倉時代 (源頼朝) 1192年~
- 1268年 北条時宗が執権に就く
- 1274年(文永11年) 文永の役(元寇 - 蒙古襲来)
- 1281年(弘安4年) 弘安の役(元寇 - 蒙古襲来)
|
スコータイ王朝(1240年頃-1438年)
(仏暦1783年頃-1981年)
スコータイは1378年にアユタヤ王朝の属国となるまで、約200年間隆盛を極めたタイ人による初めての統一王朝。
この時代スコータイの最盛期を築いたラームカムヘーン大王によりタイ文字が発明されました。
スコータイに残るワット・チャナソンクラム
(スコータイに残るワット・チャナソンクラム (スコータイ遺跡公園))
スコータイ歴史公園のラームカムヘーン大王の像の周りにある昔のタイ文字
(ラームカムヘーン大王の像の周りにある昔のタイ文字)
|
|
|
|
アユタヤー王朝(1351年-1767年)
(仏暦1893年-2310年)
ウートン王によって王朝が開かれ、およそ400年、都として繁栄。1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃により壊滅的な打撃を受け、その終わりを告げています。
(この後、トンブリー王朝、現在のチャクリー王朝と時代は変遷)
17世紀には日本とも盛んに朱印船貿易も行われ、山田長政をはじめ、800人から3,000人の日本人がアユタヤにいたと言われています。
アユタヤ歴史公園のワット・プラシー・サンペット。アユタヤの王宮の敷地内に位置する最も重要な寺院。
(アユタヤ歴史公園のワット・プラシー・サンペット:アユタヤの王宮の敷地内に位置する最も重要な寺院)
アユタヤ歴史公園のワット・マハタート。ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊され、仏像は首を落とされている
(アユタヤ歴史公園のワット・マハタート。ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊され、仏像は首を落とされている)
|
室町時代(足利尊氏) 1338年~
|
- 1360(1903)年:上座部仏教(Theravada Buddhism)がアユタヤにおける公式宗教となる。
- 1511(2054)年:ポルトガルから外交使節団が来航。
- 1516(2059): ポルトガルと通商条約が結ばれる。
- 1569(2112)年:アユタヤー、ビルマに敗北。
|
|
(御朱印船(末次屋丸))
|
安土桃山時代
- 1590年 豊臣秀吉 天下統一
- 1600年 関が原の戦い
江戸時代
- 1614年 大坂冬の陣
- 1615年 大坂夏の陣(豊臣氏滅ぶ)
- 1637年 - 1638年 島原の乱
- 1651年 由井正雪の乱
- 1687年 生類憐れみの令
- 1702年 赤穂浪士 吉良を討つ
- 1716年 徳川吉宗、征夷大将軍となる。
|
- 1767(2310)年:アユタヤー、ビルマに2度目の敗北。
|
|
トンブリー王朝 (1767年-1782年)
(仏暦2310年-2325年)
- 1767(2310)年:アユタヤー奪回し、トンブリーを新たに王都へ。
|
|
チャクリー王朝(ラッタナコーシン王朝)
(1782年-現在)(仏暦2325年-現在)
(バンコクの王宮(グランドパレス)。1782年に、首都がトンブリからバンコ クに移る際、ラーマ1世によって建設されました。) |
|
- 1782(2325)年:ラーマ1世即位。王都をバンコクへ。
- 1826(2369)年:イギリスとバーネイ条約締結。
- 1832(2375)年:アメリカと通商条約締結。
- 1872(2415)年:英語学校の開校
- 1887(2430)年:日タイ修好宣言 (タイと日本の正式国交開始)
- 1887(2430)年:陸軍士官学校の開校
- 1894(2437)年:バンコクの鉄道の中心「フア・ランポーン駅」運用開始
- 1906(2449)年:海軍士官学校の開校
- 1932(2475)年:絶対王政から民主主義体制へ移行
- 1939(2482)年:呼び方がサイアム(シャム)国からタイ国へ
|
- 1800年 伊能忠敬の蝦夷地測量
- 1823年 シーベルトが長崎へ
- 1825年 異国船打払令
- 1837年 大塩平八郎の乱
- 1853年 ペリー浦賀に来航
- 1854年 日米和親条約(ペリー)
- 1860年 桜田門外の変(井伊直弼)
- 1863年 新撰組の結成
- 1867年 大政奉還
明治時代
- 1889年 大日本国憲法発布
- 1894年 日清戦争
- 1904年 日露戦争
大正時代
- 1914年 第一次世界大戦
- 1923年 関東大震災
昭和時代
- 1937年 日中戦争
- 1940年 日独伊三国軍事同盟
- 1941年 第二次世界大戦
|